「障害がある」と書かされた男性自殺 のニュースに感じたこと。

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 自治会役員を批判する方の中でどれだけの人が障害者の方々と関わったことがあるでしょうか。時計が読める、計算は得意、大きな声は苦手、人前に立つのが好き等々、障害者にもいろんな特性があります。自治会役員を批判することは簡単です。しかし、障害の程度を知らなければ配慮もできません。確かに障害の内容を書き出すという行為は、本人にとっては辛かったことでしょう。しかし、理解を得るためには、自分の弱い面を相手に伝えた方がよい場面もあると思います。例えば、職場の同僚が持病を隠して急な休みを頻繁にとるのと、「持病があるので急な休みをとることがある」と事前に説明しておくのとでは、どちらが周囲からの理解を得られるかを考えれば答えは明白です。

 

 私は少し前まで心身障害者の方を対象とする仕事をし、体と脳に軽度の障害がある方と一緒の職場で働いていました。私はたまたまそこに配属になったというだけで、元々福祉に明るいわけではありませんでした。そのため最初、障害者の方には特段の配慮をしなければならないと思っていました。しかし、しばらく活動する中でそれは間違っているかもしれないと思いました。だって健常者と同じなんです。ごはんに対してのこだわりが強い方がいればみんなに配りたがる方もいる、けんかっ早い方がいればおっとり小さい声でしゃべる方もいる、カメラを向ければイエーイとする方がいれば下を向く方もいる。あなたはどうしたいの? 何が好きで何が嫌なの? って一つ一つ確認しないとやっぱりわからないです。言いたくなくて言わないのか、発語に時間がかかるから言えないのか、発語するまで待ってほしいのか、逆に気を遣うからいっそのこと待たずにスルーしてほしいのか。いろんなパターンを考えました。障害者だから前に出るのは嫌だろうと勝手に決めつけるのは違うのかなと私は思います。

 

 今の国や自治体の基準は、IQの数値が一定以下の方は障害者、さらに○○の理解が難しければ愛の手帳○級(都の場合)のような線引きをしています。これは一つの参考にはなりますが、本人の特性すべてを表しているわけではないです。だからこそ相手に確認する必要があるのです。私は今回のように障害者とコミュニケーションをとろうとした人達が集中砲火されると、逆に「障害者とは関わりたくない」と腫れ物にさわるように関係することを避ける人が出てきてしまうのではないかと考えています。

 

 果たして自治会役員は男性を貶めるためにそれらのことをやったのか、まずはしっかり慮る必要があります。ニュースでは「班長をできない事情を伝える」段取りを決めたとありました。正直私には、「男性には班長とならない合理的な理由」があることを他の自治会員にきちんと説明し、男性に対しての理解を得ようとしたように見えました。男性が自殺したこと自体は悲しいことです。だからと言って、役員が悪い!差別だ!最低だ!と言って性急に役員達を責める行為はあまりに思慮が浅いと感じてしまいます。障害者とあまり接したことのない人は、健常者は健常者、障害者は障害者としっかりした線があるように感じる人もいると思います。実はそこに境界はなく、症状や疾患程度はグラデーションになっています。きっちりと健常者の住むエリア、障害者の住むエリアと決めてしまえば、今回のようなことは起こらなかったかもしれませんが、そういうわけにはいかないです。

 

 正義中毒になって相手を責める前に少し立ち止まり、それぞれの立場になって冷静に考える必要があるように思います。

裁判の傍聴はハードルが高い? を確認してきた。【はじめての裁判傍聴】

先日、久々に傍聴に行ってきました。
地方裁判所高等裁判所の建物に入ったつもりが家庭裁判所簡易裁判所の建物に入っていたり、事件がタッチパネルで検索できるようになっていたり(ちょっと前まで冊子でした)で焦る焦る。そこで、自分のためにも記録に残すことにしました。
法廷で行われる裁判の手続は、原則誰でも見ること(傍聴)ができます。しかし、傍聴券がないと見れないの? 何か独特のルールがあるの? 等、初めての傍聴には不安がある方もいると思います。そこで今回は、私が何度か行ったことのある東京地方裁判所高等裁判所での流れを書いてみようと思います。もしかしたら違っているところがあるかもしれませんので、わからないことは職員の方に訊いてみてくださいね。


基本、傍聴するのに事前の申し込みは必要ありません。ただし、傍聴希望者が多い場合には傍聴券交付手続が行われる場合もありますので、人気の裁判を見たいときは事前の確認が必要です。なお、東京地裁と東京高裁は同じ建物内にありますが、家庭裁判所簡易裁判所は別建物(裏手)となります。家庭裁判所簡易裁判所で扱う非公開の事件(調停,審判等)は、傍聴することができませんのでご注意ください。

 

1 裁判所入口前
  主義主張を掲げた看板を持った人や、特定の裁判官の罷免を求める段ボールが貼りだされていることがあります。結構年季が入っているものも多いです。最初はびっくりするかもしれませんが、興味がなければスルーしましょう。

 

2 裁判所出入口
  ここで弁護士・裁判所関係者(検事・弁護士等)と一般人は左右別々の扉から入ることになります。一般人は手荷物検査をパスしなければ入館できず、弁護士等バッジのある人は手荷物検査がなくても入れるというだけです。手荷物検査は空港でよくあるアレと同じです。


3 本日の事件を確認
  出入口の正面には受付があり、そのすぐ左手にはタッチパネル(タブレット型)が4台×4台の計8台並んでいます。そこで当日の事件を確認することができます。見たい事件が決まったら「時間」と「○○号法廷」をメモをします。もし傍聴が初めてならば、「①地裁②刑事事件」をおすすめします。


 ① 高裁はすでに争いがない点については、審理をしないので初見では話がよくわからない場合があります。地裁であれば、事件の全体(あらまし)から説明してくれるので、話の筋がわかりやすいことが多いです。
 ② 民事は損害賠償請求や建物明渡請求などが多く、他人同士のゴタゴタを見ている感じがあります。

 

ちなみに検索画面には、「新規」「口頭弁論(本人)」「判決」等の進捗が出ています。「判決」は本当に判決文を読み上げるだけ(5分くらい)なので、それだけ聞いてもよくわからないと思います。「口頭弁論(本人)」は当事者が検事や弁護士とやり取りをするので、事件のあらましや至った経緯、心情を知ることができて面白いです。よくドラマでみるシーンですね。


4 法廷(部屋)までの道のり  
  開廷時間の10分前くらいに該当の法廷に行きます。1階の正面に大きなフロアガイドがありますのでそこで行きたい法廷(部屋)のある階を確認し、エレベーターへ。基本、710号法廷だったら7階というように、頭の数字が階数を表しています。該当階でエレベーターを降りると、正面にフロアマップがあるので現在地を確認し、法廷へ向かいます。法廷番号は天井からぶら下がっているので、ここから入ればいいのか~とすぐわかります。ガラスの扉を抜けて、目的の法廷の前にくると、「今日の案内」みたいなA4用紙が貼りだしてあるはずです。それで、目当ての裁判内容と合っているか確認します。

 

5 いざ法廷内へ
  必ず「傍聴人入口」と記載のある扉から中に入ります。扉の注意書きを読んで、いざ入廷です。ちなみに、のぞき窓がある法廷の場合、中をのぞいてから入ることをおすすめします。もう入って大丈夫? 多くて入れない? 等、中の様子を確認することができるからです。なお、小さい法廷にはないです。今は、時勢の影響で傍聴席が一つ飛ばしとなっているので、いっぱいで入れないということもあります。いっぱいならあきらめて別の法廷へ行きましょう。

◆前の裁判が続いていることも◆

予定の時間だからと入ってはみたものの、見ようと思っていた内容と違うぞ?ということがあります。実は裁判の開始時間はあらかじめ決まっているものですが、前の裁判が押してしまうことがあります。裁判官は一日にまとめて審理を行うことがあり、520号法廷は5件連続で○○裁判官が使っているみたいなこともしばしばです。あまり人気のない裁判は傍聴人が全くいないこともあります。傍聴席に数人いると安心していると、実はその人達は次の裁判の開始を待つ原告と被告で、傍聴人は自分一人だったということもありました。あれはこちらもちょっと気まずい……。
 

6 席を決める
  空いている席がほとんどなければ迷う必要がないのですが、結構ガラガラなときや、数人いる傍聴人の先頭で入廷してしまったときは困るものです。右端・左端の席は、事件の関係者や次の裁判を待っている関係者が座ることが多いので避けたいところです。「記者席」と書いてある席も避けます。そのため、私は真ん中の後ろあたりを狙います。

 

7 開廷
  「ご起立ください。」と言われたら、法廷にいる人はみんな起立します。傍聴人も全員起立し、一礼し、各自着席します。あとはゆっくり眺めるだけです。たまに話が間延びして眠くなることがありますが、当人にとっては一大事であることを鑑み、居眠りなどしないように気を付けます。

◆途中で外に出たくなったら◆

トイレに行きたい、次に見たい裁判がある等、途中で法廷を出たくなる場合があると思います。その際は、静かに荷物を持って出ていきます。裁判は録音していることがありますので、扉は音を立てないよう開け閉めします。

 

8 閉廷
  「閉廷します。」と言われたら、荷物をまとめてすみやかに法廷を出ます。そして、次の法廷へ。


きちんと数えたわけではないですが、事件数は午前に多い気がします。地下には売店や食堂がありますので、丸一日かけていろんな裁判を見て回る猛者もいるとか。あまり人気のない裁判だとアットホーム感?のようなゆったりした空気になることもありますので、いくつかの法廷をのぞいてみるのもいいかもしれません。ちなみに、風呂敷を持っている人は大抵検事です。1度行ってみれば勝手がわかりますので、次からはもっと楽しめると思います。
今回久々に傍聴に行ってきましたが、私は過去に法律の勉強しており、今の仕事にも関係する部分があるので、思いのほか楽しく感じられました。また、時間を見つけて行ってみようと思います。


≪参考≫ 見学・傍聴案内 傍聴の手引

www.courts.go.jp

平日、ぼっちが高尾山▲登ってみた。

その日、私は幼馴染と高尾山に登ろうと約束をしていました。
ところが、前日夜に幼馴染から急に行けなくなったとの連絡があったのです。少し悩んだ私は、結局ぼっちで登ることにしました。

京王高尾山口駅に到着。

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平日でも人が多く、さすが登山者数世界一です。
周囲の人の格好を観察すると、ガチの登山スタイル、街歩きスタイル、お散歩スタイルと様々でした。ヒールの人こそ見ませんでしたが、結構な厚底を履く人はちらほら。


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初心者だし今回は1号路かなぁなんて思っていましたが、街歩きスタイル、お散歩スタイルの人たちで溢れたその雰囲気から逃れたくて結局、カツラ林コースの3号路に足を踏み入れました。

 

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最近、少し気分が晴れなかった私でしたが人がいない、目の前に緑しかない状況に「もう最高!」と気分が上がりました。
アスファルトよりずっと歩きにくいはずなのに、ずんずん進むことができます。
細い山道では、すれ違う人に路を譲り合います。そんな時「こんにちは。」「ありがとうございます。」と軽くかわす挨拶がなんだか心地よくって、嬉しい気持ちになりました。この路を選んで正解でした。

頂上は人でごった返しており、空いている蕎麦屋でささっと昼食を済ませました。ちょっと一休みしたいけど、人が多すぎて休めない…。

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快晴だったので遠くに富士山が見えました。穂が開きかけたすすきに秋を感じながら、サクッと下山です。

 

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帰りは、行きで避けた1号路へ行ってみることに。メインコースなので一度くらい通ってみようと思ったからです。
1号路は薬王院に参拝するための表参道となっており、天狗像、さる園・野草園、タコ杉等、観光地的な要素が満載です。

 

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やはりここは自分の歩く路ではないなぁ…そんなことを思いながら、帰りもリフトでのんびり下山。

 

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いろんなコースがあるのがいいですね。次は4号路を攻めてみたいです。都心からのアクセスが良く、気軽にリフレッシュすることができる場所。高尾山が多くの人から愛される理由がよくわかりました。

おわり。

「古着も案外アリ」になったら、ファッションを楽しめるようになった件

「古着って要は誰かが着たものでしょ?変な人が着てたら嫌だし、なんだか不潔。」
そう思っていました。 

 私には貧乏ニート時代があります。
ニートに服は必要ないのですが、働き始めたときに必要になりました。その職場は服が自由だったので、とても困りました。
年齢30歳。預金なし。月々の給料は家賃と食費でほとんど消えていきました。
 しかし、2,000円~3,000円の安い服ばかり着るわけにはいきません。それなりの服はそれなりなのです。すぐにヨレてしまうし、安っぽさが出てしまいます。そこで通勤時、気になっていた古着屋に「見るだけ」の気持ちで足を踏み入れたのです。

 端的に言えば、そこはパラダイスでした。

 新品で買うなら、15,000円~20,000円はする服が、1,000円~2,000円で売られています。500円の服もたくさんありました。安い。安い。安い。
結局その日は、500円のセーターとカーディガンを買ってみました。

 家に帰るとまず洗濯です。古着屋の独特なにおいが苦手という方、多いと思います。私がそうでした。エマールで3回くらいは洗ったかな。(Tシャツなどは酢につけると臭いもとれるし殺菌効果もあっていいです。)

 そしていざ着てみると、やっぱり最初は思うんです。
「古着なんだよな~(꒪ཀ꒪)」と。
しかし、何度も着ると徐々に自分のもの感が出てきて、他のアイテムと同じようにそこにいるのが自然になりました。
こうして、私は古着を着るというハードルを越えました。

 ヴィンテージとか廃版になった服が見つかったとかそんなおしゃれな話じゃないんです。やっぱり「安さ」。これに尽きます。

 気軽に服が買えると、ちょっとした挑戦を楽しむことができるようになります。10,000円以上になると今でも慎重になる私は、色や形、サイズで遊ぶ(挑戦する)ことはほとんどありませんでした。しかし、500円~1,000円なら遊べます。お金がない中、服で遊べることはストレス発散にもなりました。

 今では古着を着ることに抵抗は無く、服が欲しいと思ったらまず古着屋に行きます。気軽に買うにはちょっと勇気のいるハイブランド商品も、古着屋なら2,000円~3,000円で購入することができます。
 しかも、着なくなったら、メルカリなどのフリマアプリで売ることもできるのです。ハイブランド商品はしっかりした作りなので、そう簡単に型崩れしません。つい最近も、2~3年着たブルゾンが購入した金額より高値で売れたところです。(もともと安いので、売れなくても捨てていいや~な気持ちです。)

 おしゃれを気取って個性的なファッションをしたり、少しフォーマルな場にシックなワンピで出かけたり……。たくさんのお金をかけなくても場面に合わせて様々な選ぶことができるのはすごく楽しいです。古着に対する抵抗感さえクリアすれば、ファッションをもっと気軽に楽しむことができますよ。とりあえず「見るだけ」から始めても、損はないはずです。

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ゆるーい自殺・自死欲求との付き合い方(後編)

※ 先に前編中編をお読みください。

 さて、この話もこれで最後です。
中編で、人生は死ぬまでのヒマつぶしだとお伝えしました。いつ終わるとも知れないこのヒマを、私は一体何に使っているのか。

ゲームです。

SWITCHとかプレステとかではないです。私は、人生そのものをゲーム化しています。

1 プライベート時間をゲームする。

 ウォーレン・バフェットという人を知っていますか? バフェットは投資とチェリーコークが大好きで、非常にチャーミングなおじいさんです。彼に興味を持った私がしたこと。それは、バフェットゲームです。簡単に言うと、自分が知りうるバフェットの考え方を用いると投資ってどうなるのかという実験です。手順は簡単です。

チェリーコークを箱買いする。
 まず、同じものをがぶ飲みし、気分を高めます。
②今の生活に困らないお金を投資に充てる。
 投資に充てると言っても、儲けるためにするわけではありません。ひたすらバフェットの自伝「スノーボール」やインタビュー記事、動画にある教えに基づいて投資します。ちなみに現在 -50万円です。イテテテテ。まだまだ読み込みが足りないようです。

 このまま下がり続けるのか、上がっていくのか。この不安定な情勢の中、どのように変動していくのか全くわかりません。でもまぁ、返ってこなくても生活はできるし、いっか。
 ちなみに、私はギャンブラーでも浪費家でもありません。車も持ち家もなく、むしろお金はあまり使わない方です。

2 仕事時間をゲームする。

 例えば「稟議書を通す。」をゲームするとこうなります。

【ルール】途中で引っかかったら(指摘が入ったら)アウト!

⇒ セーフだったら
よっしゃー! ノーミスで切り抜けた!(アウトになりそうなところを、うまいこと説明して切り抜けられるとなお嬉しい。)
⇒ アウトだったら
くそぉー! そこの指摘は予想してなかった! 次回は、絶対このミスせんようにしよ。つぎー。(翌日には忘れる。)

 この仕事時間ゲームをしていると、なぜだか高く評価されることが多いです。不思議。こうやってプライベートも仕事もゲームしてると、結構いいヒマつぶしになります。

 

 30歳の時、ニートで、金無し、あて無しだった私は、人生がどうでもよくなっていました。誰にも知られぬまま、泡となって消えてしまいたかった。私は薄れゆく気力を振り絞り、知人に片っ端から頼りました。遠い親戚のおじさん、3回会っただけの友人、昔私を好きだと言った人……。私は、ごはんを奢ってもらい、職をもらい、そして弱っている自分を慰めてもらいました。恥も外聞もありました。しかし、自分の力ではどうにもならないくらい追い詰められていました。

痛めつけなくても
この身はいつか滅びるものだから
甘えてなんぼ

 私の好きな歌手はこう歌いました。正直、今でも人生がめんどくさくなる時があります。しかし、死は誰にでも必ずやってきます。わざわざ自分から迎えに行かなくても、そのうち向こうからやってきてくれるのです。そこには絶対の信頼があります。ありがたや~。だったら、べつに焦らなくたっていいじゃないか。そう思えるのです。

 今は死にたくないとか、生きなければ悲しむ人がいるから死ねないとか思う人に少しでも届くといいな、と思いながら書きました。最後までお読みいただきありがとうございました。

終わり。

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ゆるーい自殺・自死欲求との付き合い方(中編)

※ まずは前編をお読みください。

「人生は死ぬまでのヒマつぶし」

 どこの誰が言ったかわからないけれど、私はこの言葉が好きです。

 ヒマな時、何をしていますか。ゲームしたり、漫画や本を読んだり、インスタ見たり、プラモ作ったり、チャットボットに壁打ちしたり、なんでもアリです。実は、人生だって法律を侵したり他人に実害を加えない限りなんでもアリです。それなのに邪魔をするのは「他人の視線」「要らぬプライド」です。

 私にはニート時代があります。勤めていた会社を辞めた後の約3年半くらいです。これまでと全く異なる分野にチャレンジするため、毎日黙々と9~10時間勉強していました。そんな中、図らずも自分の底辺っぷりを感じることになりました。

①友人や親戚、近所の人にいいトシして仕事もせずに引きこもっているように見られているのでは?
②職歴の空白は転職しづらいと聞くが、こうしている間にも自分の市場価値は落ちているのでは?
③友人は次々に結婚し、子供を産んでいく。私はこの大事な時期(いわゆる適齢期)に何をやっているのかと思われているかもしれない?
④税金も払わない自分は社会のお荷物ではないか?

これは誰かに言われたわけではありません。自分で「勝手に」感じていたことです。私たちは言われてもいないことを「勝手に」想像し、「勝手に」落ち込み、「勝手に」負け犬ラベルを自分に貼ってしまいます。この「勝手に」を止めるのがなかなか難しい……。

……そう思っているアナタ! 視野がだいぶ狭まっています! 人生は死ぬまでのヒマつぶしなんですよ!

 そもそも、人生のマックス悪いことって、死ぬことくらいでは? 目の前で親をなぶり殺しにされるような苦痛を中長期にわたって味わう、なんてこと現代にはほとんどないと思います。「人生は死ぬまでのヒマつぶし」という考え方を自分に染み込ませると、先ほどの①~④はこうなります。

①ヒマつぶししてるだけだから、トシとか関係ない。
②職歴の空白とかどうでもいい。どうせ死んだら終わりだし。
③友人は次々に結婚し、子供を産んでいく。そういう選択もあるよね。
④社会のルールは一応守る。お菓子買うとき消費税をちゃんと払ってるからワタシって真面目

 価値のある人生とか、生きる意味について深く考えることは大事なことだと勝手に刷り込まれていませんか? この記事を読んでいる方はきっと、十分悩んだり考えたりしてきていると思います。命は有限です。この世に生を受けたら、必ず死ぬのです。自分ではどうにもならない(答えが見つからない)ことに思いを馳せるより、「このヒマな時間を何に使おっかなー」という心持ちでいる方が、よっぽど生きていられます

続く

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ゆるーい自殺・自死欲求との付き合い方(前編)

(こちらはあくまで個人的な意見です。他の考え方、生き方を否定するものではありません。)

 自殺する芸能人の報道があると、決まっていのちの電話や自殺ホットラインの連絡先がアナウンスされ、自殺を食い止めようという動きが活発になります。私はこれにずっと違和感がありました。自分の意思と関係なく世に生まれてきたのだから、自分の意志で死んだっていいじゃないかと思うのです。でも、今は死にたくないとか、生きなければ悲しむ人がいるから死ねないとか思う人にはちょっと読んでみてもらいたいです。
 私は、死を選ぶ理由が2種類あると思っています。

 ①目の前の現実に絶望すること。病気、恋愛、家族等、うまくいかずに苦しみから逃れるため。

 ②現在おかれている環境に不満があるわけではないが、生きるのがとにかくめんどくさい。虚しい。

 ①については、眼前の問題の解決ができれば、死を選ぶことはないでしょう。病気が癒えれば、恋愛が成就するかキッパリ忘れることができれば、家族関係が良い方向に向かえばきっと悩みで頭をもたげることはなくなるでしょう。②について、これがなかなかやっかいです。 イマイチ原因がはっきりせず、解決の糸口が見えないからです。どちらにせよ今、この瞬間がウルトラ スーパー ハッピーだったら、そもそもこんなことは考えもしないのです。

「命は大切で尊い
「どんな理由があっても自殺してはいけない」
「残された家族が気の毒」

  このような言葉を目にすると、しんどいなぁと私は感じてしまいます。大事なのは、こういう「正義中毒」の言葉には触れないことです。具体的には…

・ネットではこのような記事のコメント欄を見ない。できるなら、このような記事をそもそも開かない。

・近くにこのような人がいるなら、そっと距離を取って聞かない。距離を取れない場合は、聞いているふりをしながら晩ごはんのことを考える。

人はコンプレックスに感じていることや悩んでいることについて敏感に反応してしまいます。だからこそ、私たちはこのような情報に触れることで自分たちこそ正義だと疑わない人(正義中毒)からの悪気ない圧力をかけられ、弱っていくのです。そもそも触れないことこそ、最大の防御なのです。

 私の好きな脳科学者が「(人は)みんな生きたいと思ってる?」との問いに、こう答えました。

それが生命の定義じゃないですかね。
そう願わない者は
生きていられないと思います。

 

続く。

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